英語も話せなかった僕が、就職せずにルワンダで3年半生活するまで

英語も話せなかった僕が、就職せずにルワンダで3年半生活するまで

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牧野広太
牧野広太

はじめに

初めまして。牧野と申します。ひょんなことからルワンダで出会ったQulii編集長の板倉くんに、「海外で挑戦したい中高生に対して牧野さんの歴史を語ってもらえないか」と話をいただきました。

せっかくなので、僕がどのような経緯でアフリカ生活を送ることになったのか、何を思ってきたのかについて紹介できればと思います。

アフリカで生活を始めて3年半が経ちました。期間でいうと青年海外協力隊の人が任期を終えてその後任の人の任期もそろそろ終えようというくらいですね。おそらく、これくらいいるとかなりのアフリカ好きに写るんですかね。確かにここでの生活は年々楽しさが増してると思いますし、まだまだいたいなとも思っています。

現地では東アフリカの主食であるメイズ(トウモロコシ)を製粉したものをルワンダとコンゴ民主共和国東部向けに販売しています。

ちなみにクラウドファンディングもやっていました。画像をクリックするとページに移動できます。

アフリカ生活のきっかけ

そんなアフリカ生活ですが、そもそもきっかけは学生時代にありました。

もともと途上国というところには高校生の頃から関心があって、大学も国際開発系の学部を選びました。当初はアフリカというよりはアジアに興味があって入学前からマレーシア語の勉強をしていたので、最初はアジアの国にいくのかなぁと思っていました。

ただ、第三言語でアラビア語を選択したのですが、そこのクラスメートに社会人から大学に入り直した人がいて、夏休みにルワンダ人と結婚することになっていて。当時、出会ってまだ2回目くらいでしたがルワンダでやる結婚式に呼んでもらって、思わぬ形で人生初のアフリカ行きが決まりました。せっかくだからと、ルワンダで友達と合流する前にケニアとウガンダを一人で回ることにもしました。

ケニア以外はそれまで聞いたこともなかった国でしたし、2012年に僕が初めてアフリカへ行った時は今みたいに現地で住んでいる日本人もほとんどいなかったため事前に入る情報が少なく、とにかく行ってみないとどうなるか分からないという要素が多かったです。

ルワンダで出会う学生さんはボランティアであったりインターンを目的としている子が多いのですが、僕の場合はどちらかというとバックパッカースタイルで期間も3週間ほどと長くはなかったので、ある程度行きたいことやってみたいことは把握していましたが、行ってみて一番面白そうだなぁと思ったことをできるだけの自由と時間的余裕を確保しておきたかったからです。

気も失った、人生初アフリカ

そんななか行った初めてのアフリカですが、先進国の環境しか知らなかった当時の僕には結構タフな体験でした。

そもそも英語を話せなかったし、聞き取ることも全くできなかったので、何度も聞き返して、聞き取った単語から何を言いたいのか推測して会話していたのですがよく揉めてましたね。

あとは初日からロストバゲージで荷物来なくて、宿の人が助けてくれて次の日の夕方に荷物が届いたって連絡が来たから手配してもらったタクシーで向かったら、道中色々理由つけてどんどん値段つり上がってくるし、ごねてたら最終的に帰り道にもう夜中でしたけど「地球の歩き方」でケニアの絶対に行ってはだめと書いてあるエリアで車を止められて「降りろ」って言われたり。

ケニア滞在の後半でアフリカ最大と言われる木ベラスラムに行ったあとに環境のショックさで3日間何も口しなかったらウガンダで気を失ってしまって気づいたら宿のベッドの下で横たわっていたり。国境で警察に賄賂を取られかけたり。

本当にこんなことあるんだなぁと思うような出来事がいくつもありました。

もちろん、サファリに行ってアフリカのThe自然のようなものを体感したり、現地の人と関わってみたりも良い思い出として残っていますが、生きることにすごく頭を使っていて、ボーッとしていたら生き残れないのではないかっていうドキドキ感にすごく魅了されました。

そこからアフリカという地域について学んだり、現地で活動する人たちと関わりながらアフリカへの関心を深めていってました。

アフリカだけでなくアジアの地域を訪れてみたり、アメリカの最先端のチームビルディングを行っている会社を研究して実際にその会社を訪問させてもらったり、あとは山梨県で地方創生に関するフィールドワークや研究論文みたいなのを投稿してみたり、なるべく色々なものに触れるようにしていました。

新卒アフリカへの決断

大学生活も終盤になると就職活動をする同級生たちも増えてきて、実は僕も「少~し」だけ就活というものをやっている時期がありました。

もともと小学生の頃から自分で会社を持って活動していきたいと思っていたことやアフリカに対してかなり関心が高まっていたので現地ですぐにでも行きたいという思いがあったことから、就職せずにいきなり現地に行ってみるという考えはありましたが、やはり社会のレールから外れてしまうのではないかということにすごく抵抗感や不安はありました。

そこで「アフリカで働く力がつけられるところ」「3年以内にアフリカに行けるところ」といった感じで何となく基準を設けて就活をしていました。ただ、この「何となく」が良くなかったんですけど、そもそもアフリカで働いたこともないし、生活もしたことがなかった。

そのため、経験としてどのような力を付けたらいいのか全くイメージが沸かず、後はなかなかどうしても腰を据えて現地で取り組める環境のある会社が当時少なかったこともあり、就職という選択肢が自分にとっては現実的なものにないということを感じてました。

この時は色々思うことがあったり、何を選択すべきか分らない不安からちょっとそわそわしたりしてました。

ただ、一度自分を振り返ってみて、今まで自分ってどういうふうに選択をしてきたかなぁと思い返してみた時に、常に

「自分の持ちうる選択肢の中で一番わくわくできるもの」

を選んできたなと。

そしてその結果に対する満足感もいつもありました。心は完全にアフリカにあったことを再確認していたこと、何より大人になるからといって心が向かないことをすんなり受け入れてしまうほど、つまらないやつではないなって。

トウモロコシ製粉事業スタート

冒頭でも紹介しましたが、今はトウモロコシ粉をルワンダとコンゴ民主共和国東部に販売する事業を行っており、適正量の食糧供給と、現地の方々の生活状況改善を目的に活動しています。

パートナーに約束をすっぽかされたり、エボラやコロナでやらないといけないことがスムーズに進まなかったりと大変なことは色々ありますが、これこそがここに来た醍醐味だなぁと。だから今が一番わくわくしています

Just do it!

不確かな未来へ舵をきっていこう。

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牧野広太
牧野広太

ルワンダ生活4年目です。新卒で社会人経験もないままルワンダ生活を始めて、今はトウモロコシを製粉したものをパック詰めしてルワンダ、コンゴ民主共和国向けに販売しています。