皆さんは核兵器と聞いて何を考えますか?-Karin Osawa-

皆さんは核兵器と聞いて何を考えますか?-Karin Osawa-

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こんにちは!CARE International Japan Youth Project 運営の大澤花鈴です。

皆さんは核兵器と聞くとどのような単語を思い浮かべるでしょうか?

…少し頭の中で並べてみてください…

世界で唯一の被爆国民”という言葉を思い浮かべた人はどのくらいいらっしゃるでしょうか?今日はそのことについて考えたいと思います。

私は、高校2年生の夏に修学旅行で長崎を訪問しました。現地の高校生や長崎大学の准教授からお話を伺う中で、核兵器に対する考え方が180度変わりました。今回はその体験を共有することで、皆さんが日本人として改めて核兵器について考えるきっかけとなれば嬉しいです。

1. 長崎訪問前の価値観

私が核兵器について考えるきっかけとなったのは、中学2年生で初めて参加した模擬国連の練習会議でした。私が担当したオランダは日本とスタンスが似ており、核抑止論(詳細は後述)のもと、段階的な核削減が効果的だと考えていました。この考えは変わることはなく、むしろ核兵器廃絶は理想的で実現は困難という考えを持ったまま、長崎を訪問しました。

2. 活水高等学校での交流

現地の高校生に話を聞くため、活水高校の平和学習部を訪問しました。この部活では、週末に街頭募金署名活動などを通して被爆体験の継承を行っています。例えば「ふりそでプロジェクト」では、幼くして原爆で亡くなった少女二人をせめて火葬の時は綺麗な着物で送り出したい、という実際にあった話を、絵本として広める活動をしているそうです。また、2001年に始動した高校生1万人署名活動では、毎年国連に署名を届けることで核廃絶を訴え、ノーベル平和賞にもノミネートされています。

私が活水高校との交流から感じたのは、長崎と東京における核兵器の理解の温度差です。長崎では平和集会などを通して小さい頃から原爆の話に触れ、同年代の高校生が必死に核廃絶を訴えています。それに対し、東京にいる私たちは、同じ日本人であるにも関わらず、核兵器についてあまり議論せず黙認している。国内の温度差に違和感を感じるようになりました。

3. 長崎大学の中村桂子准教授のお話

長崎大学にある核兵器廃絶研究センター(RECNA)を訪問し、中村桂子准教授のお話で考え方が大きく変わりました。

核兵器に悪の烙印を押すこと 皆さんは「地雷」と聞くと、危険で除去すべきというイメージを持つと思います。しかし、その何倍もの威力を持つ核兵器に対してはどうでしょうか?日本政府が安全保障政策の一環として核の存在を容認していることは事実です。中村准教授は、”核兵器に絶対的な悪の烙印を押すことで、核保有国が居心地の悪い世界になれば、廃絶に近づく”と話してくださいました。

核抑止論の落とし穴

核抑止論とは、核兵器を保有していることで戦争を抑止できるという考え方です。しかし大国の指導者たちが何十万人、何百万人が死ぬとわかっている核兵器を実際に使用できるでしょうか?保有していても使用する機会がないならば、皆が放棄し脅威を0にすべきだと中村准教授はおっしゃいました。

核兵器の存在自体が脅威

特に重要だと感じたのは、核兵器の存在自体が常に脅威であるということです。実際にコンピューターや人による誤作動で核兵器が発射される寸前まで言った事例もあります。また、テロ組織等に渡ってしまう可能性も近年問題となっています。つまり核兵器が地球に存在する限り、24時間365日危険であると言えます。

それでもまだ核なき世界をあくまで理想論と感じた私が、皆が一斉に核廃絶をするのは困難では…と質問したところ、”皆がそう思っていたらいつまでも世界から核兵器は無くならない”とご指摘いただきました。核なき世界を理想とし、”仕方がない”と現実に甘えていた自分に気づき思わず涙したこの日の体験は、一生忘れられないものとなりました。

↑ ”wish you were here” (核兵器禁止条約の会議に不参加だった日本に対して置かれた折り鶴)

4. 長崎訪問後の価値観

長崎訪問後、私は日本人が核廃絶を訴えないことに違和感を持つようになりました。それは、ここには書ききれませんでしたが、被爆者の方のお話や原爆資料館訪問を通して、核兵器の非道さを身にしみて感じたと共に、核兵器廃絶を実現しなければならないという現地の人の痛切な思いに触れたからです。

最後に

今回記事を書くにあたり、単に資料をまとめたものや意見表明の記事になってはいけないいのでは、など多くのことを悩みました。核抑止については難題であり、専門家が何十年もの間議論しても解決しない問題。それについて一高校生の私が伝えられることは何かを考えた結果、体験し感じたことをありのまま書くことにしました。

恐らく以前の私のように、これは理想論だという意見など、核兵器についての意見は人それぞれだと思います。しかし、唯一の被爆国である日本に生まれた者として、核の問題を考えることは日本人としての義務だと私は思います。この記事が皆さんが自分なりの意見を深める機会となれば嬉しいです。

核兵器では誰も守れない

国民が変われば政府も変わる

唯一の被爆国、日本が変われば世界も変わる

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。


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