「興味を持った」では終わらない『関心』

「興味を持った」では終わらない『関心』

読んだらあしあとをつけましょう!

こんにちは。
CARE International Japan Youth project 取材チーフの﨑田佳央です!

CARE Youthメンバーは興味を持っている分野が多岐に渡り、あらゆるテーマの記事をQulii PAPERに投稿させていただきました。
ぜひチェックしてみてくださいね!

と、宣伝はさておき…

この記事を読んでくださっている皆さんにとって、「〇〇の分野に興味があります」「〇〇の問題に関心があります」と述べるのは日常茶飯事だと思います。また、何に興味をもっているかは、その人を表すひとつの指標としても捉えられるようになっていると感じています。

でも実際「興味・関心」とひとまとまりで使用する機会が多く、2つの言葉を無意識のうちに混同していませんか?

私は「興味」「関心」には明確に意味の違いがあると考えています。ここでは私が考える
2つの言葉の意味とそこに伴う「意識」について、シェアしていきます!

1. 誰にだって「興味があります」と言える

「興味」「関心」について、複数の辞書で意味を調べてみたところ、このように定義されています。

興味▷その物事が感じさせるおもむき。

関心▷注意を向けること。ある物事に心をひかれ、特に注意を払うこと。

つまり、「あ!面白い!」と感じることが興味、興味にプラスして何かしらに対する「意識」をする時関心と呼ぶようです。

興味⇨『意識』⇨関心

と言い表せます。

たしかに、興味のあることは?と聞かれて時々で変わるなあ…。と思ったり、興味を持っている分野について説明してと言われたが表面的なことしか知らない…。そんな経験はありませんか?

2. 興味を持っていることと関心を持っていることの錯覚

その一例として私が取り上げたいのはSDGsに対する興味と関心です。

SDGsとは
Sustainable Development Goals
(持続可能な開発目標)の略称。
国連加盟193ヵ国により、2016年から2030年の15年間で達成するよう掲げられた目標。2000年に国連ミレニアム・サミットで採択されたMDGs(ミレニアム開発目標)を引き継ぎ、2015年国連サミットで採択された。

私は、SDGsは数々の課題が「17のゴールと169のターゲット」の形で明確に可視化されたひとつの指標にすぎず、その明確さは課題解決の担い手となる人々の意識を高めることをも目標にしている、と感じています。

多くの方はSDGsというワードをご存知で、特にこの記事を読んでくださっている皆さんの中には、SDGsに「関心」を持っておられる方も多いかもしれません。

私がここで取り上げたいのは『SDGsやっている感』問題です。

近年、SDGsというワードそのものの普及は進みつつありながら、SDGsを概念として普及する難しさに直面していると感じています。SDGsというワードの一人歩きとも呼べるかもしれません。

「興味」「関心」に焦点をおけば、『SDGsやっている感』にとどまることは関心ではなく興味を持っているにすぎないと言い換えられます。

たしかに興味を持つことはSDGsで掲げられている課題解決の一歩にはなり得ますが、一歩にしかなりません。一瞬の興味にすぎず、意識に発展しないからです。

『SDGsやっている感』問題を例にあげましたが、この問題はSDGsに限らないあらゆることに共通しています。

3.意識する難しさ

なぜそれほど意識が難しいのか?私は以前、こんな興味深い話を聞いたことがあります。

「人間が意識しているのは全ての言動の10%にすぎない」
(諸説あります)

1日24時間で計算すればたった144分しか意識を持っていない、ということになります。

この値を聞く前、私は(ダラケている時以外は)「寝よう!」「勉強しよう!」など大抵のことは、自らの意識の元で行動しているのかなとなんとなく思っていたので、この低い値に衝撃を受けました。

しかし、ポジティブに捉えれば、この無意識の時間の間に何をするかがとても重要ということになります。無意識の時間を有意義なものにするための典型例が習慣づくりです。緊急事態宣言による臨時休校中には、毎日学校に行くことで規則正しい生活を送れていたことに気がつきました。

社会的なことで言えば、デザインで行為を促すアフォーダンスが一例です。引くか押すかわからないドアにひと工夫加える。駅のホームに設置されている椅子の向きを180°回転させ棒状の椅子に変えることで、ホームへの転落を未然に防止する。注意を払っていなくても、効率的・安全・有意義な時間を過ごすための工夫がされていることもあります。

ですが、先ほど例にあげたSDGs・貧困・差別・ジェンダー・環境問題などの無意識は、工夫では打開できないと考えます。長年の暮らしの中で私たちの中に無意識的に身についているからです。ジェンダー平等や差別がわかりやすい例だと思いますが、結果は現れても過程は見えにくい社会的なテーマについて、無意識のうちに浸透する感覚を変えるには時間を要します。

4. 『私』が意識するということ

関心を持って何かしらの問題に取り組まれている方、正確には、何かしらのテーマを問題として認識している方の多くは「問題である」という概念の普及に苦労していると感じます。実際にこれまで、私が数々のテーマを問題として認識した背景にはそのような方々の努力があります。「〇〇が問題である」という一意見を聞いて、問題視し始めた時も、しない時も、「問題なんだ〜」と思って終わってしまった時もありました。その違いは何でしょうか?

興味が関心に変わる時、それは『意識』することで自分ごと化する時です。

意識をするきっかけの多くは自ら調べたり経験したりなど、初めて行動することです。よって、「当事者意識」:行動なしに意識をするという呼びかけは、心がけとしては重要でも実際は難しいのが現状です。行動があって意識できるのであれば、関心を持つ人が増えないのはある意味、当たり前のことです。だから、行動することが貴重な経験と捉えられているのかもしれません。

5. 『関心』は持たなければならないのか

興味と関心・そこに伴う意識について考えて改めて思い浮かぶのは、「そもそも関心は持たなければならないのか」「何を求めていて関心を持つことを勧めるのか」「どの程度の関心を持てばよいのか」です。

一人一人が全ての問題におけるスペシャリストになるのは不可能であり、1人の力は微力だからみんなの力を結集しようという呼びかけは必要で重要だと思います。関心を持つことが社会参加だからという意見もあると思います。でもそれ以上に、(どんなテーマに対してでも)関心を持つことで人生が豊かになるらしいです。この文章などであげたSDGsや貧困問題、環境問題に限らず、アーティストや漫画、映画などの娯楽に興味ではなく関心を持つのと同じ感覚です。

関心を持つとは意識を持っているということで、意識を持っているとは行動する≒経験すること。また、共に経験する仲間がいれば刺激を受け、刺激を受けるとはその仲間から新たな興味を持てること、を意味します。
興味⇨意識→関心で終わるのではなく実際は、

興味⇨意識⇨関心⇨仲間⇨興味⇨意識⇨関心⇨…

のループになっているはずです。関心は持たなければいけないわけではないけれど、誰もが何かしらのテーマに対して関心を持っていると思います。そのテーマの内容を私たちの社会に置き換えてみた時、『意識』が鍵になってくるのだと感じています。

皆さんは何に興味を持って、何に関心を持っていますか?その興味と関心にはどんな違いがありますか?

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