「隣の人と手を繋ぐ」には?
読んだらあしあとをつけましょう!
こんにちは!CARE YouthのKaoです!
(※この記事は現時点での執筆者本人の主観を含んでいます。)
「隣の人と手を繋ぐには?」とタイトルをつけてみました。ここ1年間、握手する習慣のあるヨーロッパでは、肘を合わせるタッチが一時期流行していたように、物理的には、手を繋ぐことは難しい状況かもしれません。ですが、今回は別の視点から「手を繋ぐ」ことを考えてみたいと思います。
あなたが手を繋ぐ時、その相手はどなたでしょうか?そしてどのような場面ですか?
友達、恋人、家族、、仕事上で握手をすることもあるかもしれません。メディアが、会談などの公の場で各国の総理や大統領が握手をする様子を報道することもあると思います。友好関係を象徴するように、「手を繋ぐ」ことは相手を尊重し、協力し、ひとつになっていく、という意思の現れであるように感じます。
では、あなたがよく知らない方と手を繋がないといけないと仮定します。その時、どのような気持ちになりますか?
私たちを左右する環境
今年開催される予定のオリンピック、そしてパラリンピックを意識しながらも推進されている、点字ブロックにQRコードを設置する取り組みをご存知ですか?この取り組みの最終導入検証が先日行われたと聞きました。駅の構内をはじめ、私たちが通る道路にはどこにでもある点字ブロック。改めて考えると、点字ブロックを利用されている方をそう頻繁にはお見かけしないように感じてしまいました。
(https://www.watch.impress.co.jp/docs/news/1202271.htmlより引用)
そこで、点字ブロックを利用する視覚に不自由を持つ人にかかわらず、障がいを持つ人に対する意識調査を確認してみたところ、このような結果になっていました。
Q障がい者への差別や偏見があるかどうか?:「ある」と答えた人は約80%
Q自分自身に障がい者への差別や偏見があるかどうか?:「ある」と答えた人は25%
世の中を俯瞰してみた時の意識と自分自身の意識を比較した時の結果が大きく異なっています。この結果こそ、自分自身が持っている差別や偏見に気づいていない人が多くいる、ということを表していると言えます。そして、気がつかないのは、気がつかない本人にも原因がありながら、気がつくことのできない環境にも原因があると考えます。
例えば、教育現場です。近年は「インクルーシブ教育」といって、障がいの有無に関わらず、同じ学校のクラスの中で共に学ぶ環境が整備されている場合もあります。
私が小学生の時に通っていた学校では、同じクラスの中に、難聴や言語障害を抱えているお友達がいました。私とは少し違うし…と違和感を感じていたことがない、と言ったら嘘になるかもしれませんが、毎日同じクラスで学んで、休み時間になると一緒に校庭で駆け回る、お友達の1人でした。
一方で、教育機関がこのような子どもを受け入れるためには、不自由な部分をサポートする必要があるため、全ての学校が即時にそのような体制を整えることは困難だと思います。このように、学校が障がいを持つ子どもをサポートする余裕はないからこそ、代替案として「ボランティア」という形で、支援学校を訪問する機会を持つ場合もあります。
ですが、私たちを取り巻く環境によって、障がいを持つ人が「お友達」になるか、ボランティア先の「特別な人」になるか、というように感じるものが大きく変わってしまいます。例としては教育現場をあげましたが、社会全般として共生できる環境を整えることは重要だと感じます。
「障がい者」という言葉
はじめに取り上げた点字ブロックにQRコードを設置する取り組みは、ひとつの環境の変化になると思います。そして、障がいの有無にかかわらず、人と人が相互に手助けできる社会こそが「隣の人と手を繋げる」場所になるでしょう。
「手を繋ぐ」ためには、相手のことをよく知る必要があります。私たちの意識は環境によっても左右されると書いてきましたが、私たち自身が発する言葉も意識を規定しています。
私はこの記事を通して、「障がい者」という言葉を使っていません。「障がい者」という言葉は普通に使用される言葉でありますが、時に「障がい」がその人の全てであるように感じさせてしまいます。障がいを持つ人を、自分と違う存在として線引きをしたり優劣をつけたりしてしまうことがあったとしても、本来、障がいは持つことはあっても、障がいがその人を規定するわけではありません。そして、その障がいは周囲の人を傷つけるのではなく、本人の意思を妨げている場合があるという話を聞いたことがあります。保護される対象とみられる場合もあるかもしれませんが、意思を持ち主張もする主体であることに変わりはないです。
今回は障がいを取り上げ、「手を繋ぐ」ことを考えましたが、人種、生まれ、性別など、私たちにどんな違いがあっても、互いに手を取り合わなければ手を繋ぐことはできません。そのためには、環境や言葉に左右されるのではなく、「知る姿勢」を持つことを大切にしたいです。
「多様性」という言葉があります。字面を考えると、共通点のない人々が乱雑に混在している画を思い浮かべることもありますが、あくまでも、性質に類似性のあるものが混在する状態のことを指します。いくつもの違いがあったとしても、対等な立場であることに変わりはありません。
「手を繋ぐ」とは、まずはどちらかが手を差し伸べ、相互で響き渡っていくことです。隣の人がどのような人だとしても、自ら手を差し伸べ、繋げるような努力を忘れないでおきたいです。
皆さんはどのようにして手を繋ぎますか?
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