部落差別って?
読んだらあしあとをつけましょう!
こんにちは!CARE Youthの山下ちひろです。
皆さんは、「部落差別」ってどんなものかご存じですか?
なんとなく歴史で習っているけど、あまり詳しくは知らない…という人も多いのではないでしょうか。
私は、父が子どものころ住んでいた場所に昔部落があったという話を聞いていたこともあり、興味を持っているので、その話も踏まえ、調べたことを共有していきたいと思います。
部落差別とは?
まず、「部落差別」とはそもそも誰に対するどんな差別なのでしょうか。
この問題での「部落」とは正式には「被差別部落」といいます。
江戸時代の身分制度において、武士や農民、町人とは別に、「えた」「ひにん」などと呼ばれ、制度として身分上厳しい差別を受けていた人々のこと、またその人々が多く住んでいた集落のことを指す言葉です。鎌倉時代の文献にも記述があることから、実際にはそれ以前から差別を受けていた人は存在し、江戸時代に明確に規定されたと言われています。
1871年、明治政府により「解放令」が出され、制度としての差別身分はなくなり平民と同じ扱いになりましたが、今でもその血縁や土地にルーツを持つ人々に対する差別的な慣習や意識が残り続けています。その差別の問題を「部落差別問題」「同和問題」と呼びます。
被差別部落の人々の特徴
近年は政府の調査もあまり行われておらず、正確に部落出身者の人口を書くことはできませんが、1993年の総務庁調査では部落は全国で4533カ所、人口(部落外からの転入者を含めた人口)は約216万人、部落出身者は約89万人いるとの統計が出ています。
こうした人々に共通していることは何でしょうか。私の父から聞いた話や調べたことを含めて書いていきます。
①ほとんどの人が特定の職業、特に忌み嫌われる職業に従事している
江戸時代、被差別身分だった人々は、一般的に嫌われる職業に強制的に就かされていました。例えば、獣を殺し剥いだ皮を使って行う皮革業や肉を扱う仕事、処刑場での刑吏などです。
現在でも、産廃処理や、ゴミ収集やし尿処理などの、人が嫌がる仕事をしている人が多いと言われています。また、父の話では建設関係の仕事をしている家も多かったそうです。
このような職業に就いた結果、それによって再度差別されるという悪循環も起こっています。
②自然環境が厳しい場所に部落がある
部落は一般的に、歴史的に人の入れ替わりが激しい関東地方には少なく、あまり人の移動が多くなかった関西、特に全国水平社運動の発祥地である京都や大阪、滋賀などに多いと言われています。
部落はそうした地域の中で、水害が起これば一番に被害を受ける川べりの水はけの悪い土地にあります。地方の場合、山間部の崖のような場所や、川と山に挟まれた土地に居住を強いられた地域も多くあり、住宅地として使われないような非常に厳しい環境に住まざるを得ない状況になっています。
③改良住宅や市営住宅が多い
改良住宅とは、古くて危険な建物を行政が新しく作り変えてできた住宅です。通常であれば行政側もデザインや機能にこだわって作りますが、部落での改良住宅や市営住宅は、殺風景で古めかしく、すべてが画一化されたものになっています。
一目見れば部落地域だとわかるため、余計に差別を受けやすくなる場合もあります。
④柄が悪いと言われる
部落の人は柄が悪いという話を聞いたことがある人もいるのではないでしょうか。
父の話によると、部落ではヤンキーや柄の悪い人がいたということも事実ではあるようですが、もちろんそのような人だけではありません。しかし、差別意識が強いあまり、1つの部落でのそのような情報が、すべての部落のすべての人が柄が悪く素行も悪いというようにとらえられてしまっている現実があります。
⑤苗字で被差別部落出身だとわかる
被差別部落では、同じ苗字が多いということも大きな特徴です。これについては理由はわかりませんが、部落外の人が苗字を見て「この人は部落出身だ」と思い、結果的に差別につながるという事例も多々あるようです。
部落問題の現状
ここまで部落の人々に共通する特徴を書いてきましたが、では実際、どのような差別が行われているのでしょうか。
下のグラフは、法務省が平成27年度~29年度に行った部落差別の実態に係る調査の結果です。1つ目は部落差別に関する人権相談の件数、2つ目は類型別の相談件数と割合を示しています。
この2つのグラフを見ると、毎年多くの相談が寄せられていること、また差別的な落書きや個人への誹謗中傷等の被害が比較的多いことがわかります。
大きな特徴は、毎年10%前後結婚や交際に関する差別の相談が寄せられているところです。
江戸時代の身分制度では、被差別身分の人は他の身分の人との結婚を禁じられていました。今でもその慣習が残り続けている上、差別意識が強く結婚したくても親からの反対に遭いすることができない例も多々あります。
また、2%前後雇用差別の相談があることも特徴です。人々の差別意識が根強いことから、就職を断られる、内定を取り消される、リストラの対象になるなどの就職差別が大きく問題になっています。最近では露骨なものは少なくなりましたが、就職後に企業内で差別的な発言や行為をする人も多く、まだなくなったとは言えません。
さらに、近年増えているのが、インターネットによる部落差別です。
現在、インターネット上に「部落地名総監」が公開されており、それによって部落の所在地や個人の身元などか晒されるような状況になっています。偏見や差別としか取れないような意見やデマも多く、深刻な問題となっています。
前章の部落の人々の特徴や先ほどの就職差別なども絡み、部落出身の人々は収入の少ない職業に就かざるを得ず、貧困に苦しみ、教育も十分に受けられていない場合が多いです。その連鎖が次の差別を生み、抜け出すことの難しい悪循環に陥っている状況は少なくありません。
部落差別問題の対策の歴史
このような現状を踏まえ、部落差別に対しどんな対策が行われてきたのか、歴史を遡って見ていきましょう。
1922年3月、京都で「全国水平社」創立大会が行われ全国から2000人以上の部落出身者が参加しました。「水平社宣言」は「日本初の人権宣言」とも言われています。水平社は、泣き寝入りをするしかなかった部落差別の現状を、差別者への糾弾闘争によって変えていきました。
しかし、根強い問題のため、それまでの累積した差別による劣悪な住環境や不安定就労などの実体的差別が、さらに偏見や差別意識などの心理的差別を生み、結果「差別と貧困の悪循環」が続きました。そして戦後、この状況を放置する行政が差別だとして行政闘争が繰り返されていきました。
解放運動の高まりを受け、1969年に同和対策事業「特別措置法」が施行され2002年まで、同和地区の住環境整備や教育・福祉・就労対策、同和教育(部落差別解消の人権教育)などが行われてきました。しかし2002年にこの法律が失効すると、部落問題は終わったとの誤った認識が広がり、社会規範が緩んだことで、悪質な差別事件の多発、前章で述べたインターネットでの差別の広がりが問題になっていきました。
そうした中、2016年12月に「部落差別解消推進法」が成立・施行されました。第1条では「現在もなお部落差別が存在する」として、部落差別の解消に向けて国・地方自治体の責務を明らかにしました。
部落差別をなくすには
では、部落差別をなくすにはどうすればいいのでしょうか。答えを出すのは簡単ではありません。日本の悪い文化として今までずっと残ってきたものだからです。
ただ、1つ言えることは、「知らなければ根本的な解決はできない」ということです。ありきたりだし、私も他の記事を書く際に何度も書いていることですが、「知る」ということが解決の1歩であることは間違いないと思います。
部落差別の問題は、歴史や現代社会の授業で少し触れる程度にとどまっていますが、今でも差別で苦しんでいる方はたくさんいます。政府はもっと教育に部落差別の問題を取り入れていくべきだと思いますし、私たちも、興味を持って知る努力をしていく必要があります。
部落差別とは何か、どんな差別があるのか、なぜ起こっているのかなどを正しく理解し、見下す人を作ることによって優越感を得ることが恥であることを認識することが重要です。
今回の記事を書くにあたり、私は被差別部落の人々に共通する特徴を書くかについて迷いました。それによって偏見や差別を生むのではないかという思いがあったからです。しかし、どんな歴史や環境によって部落差別が残っているのかを皆さんに知ってもらうため、書くことにしました。その点を汲み取ったうえでこの記事を読み、考えてくださると嬉しいです。
人はみんな平等です。そのことを日本人全員が意識し、前近代的な身分差別にとらわれない、自由な世界になることを願っています。
参考文献
・https://tubame-jiro.hatenablog.com/entry/2020/02/06/200141
・https://kirari-media.net/posts/107
・https://kirari-media.net/posts/7493
読んだらあしあとをつけましょう!
【Vision】 知らないことは罪では無い、知ろうとしないことが罪なのだ 【Mission】 Input→Output→Action (知識・考え・情報の共有、発信の場、主体的な個々人の行動への道しる...